単なるリラクゼーションでも医学やリテラシーを身に付けておきたい理由
トゥギャッターの使い方を知らないので、自分のツイートのまとめをここにしておきます。ちょっと手抜き感あるけど…だってブログのために文章を書くのは忙しいとしんどいけど、情熱と勢いでツイートしたものを読み返したり並べる方がラクなんですもん…
サウイフモノニ ワタシハナリタイ
『各分野の専門家が伝える子どもを守るために知っておきたいこと』読んでます。
— 掌 tanagokoro@手の心 (@tanagokoro2) 2016年8月15日
子育てに拘わらず、代替医療者も読んだら良いと思います。
「…って聞いたんですけど、どう思いますか?」という質問は、代替医療の場で頻出するからです。#代替医療 pic.twitter.com/5Dsz2Em8m7
「ワクチンは毒なのでは…」の様な質問は、患者にとっては医師には質問し辛い。普通の医者は否定するのが分かっているから。
— 掌 tanagokoro@手の心 (@tanagokoro2) 2016年8月15日
それで接骨院や鍼灸院や整体カイロの「先生」に聞いてみる。否定しなかった「先生」を信じるから、医療から離れていく。
代替医療者にこそリテラシーが必要なのに…。
私がずっと考えているのは、
— 掌 tanagokoro@手の心 (@tanagokoro2) 2016年8月15日
代替医療は間違っていても正しくても「医者に取り合ってもらえない意見」のぶつけ先として求められているという事。
患者は科学的根拠よりも「私の感覚では、そうに違いない」の肯定を求めるのだ。
正確には高い治療効果への需要ではない、私はそう考えているのです。
実際、病院へ行っても出来ることが少なく、「不安の解消」が大きな意味を持つようなケースなのか、
— 掌 tanagokoro@手の心 (@tanagokoro2) 2016年8月15日
「医師に代わってでも、誤った情報なら否定し説明する」という骨の折れる役割に責任を持つケースなのか。
その判断と対応力、知識とリテラシーこそを、代替医療者は持っていなければいけないのだが…
損な役回りでもいい。
— 掌 tanagokoro@手の心 (@tanagokoro2) 2016年8月15日
リテラシーと説明力を高めて、現代医療の否定に呑み込まれず、根気よく対話する。無い頭で勉強もする。
「患者が現代医療以外を求めるから、古今東西から似非治療を見つけてきては導入する」←そんなのは優しさではない。意見や願望に呑み込まれ過ぎである。#代替医療
「自分の施術は何も治していない。慰めや不安の解消だろう。だけどそういう行為が人を楽にすることがあるんだろう」
— 掌 tanagokoro@手の心 (@tanagokoro2) 2016年8月15日
そういう自覚をしていながらも、健康や医療や医学に高いリテラシーを持っておく。私はそういうものでありたい。
「変なこと言わないリラクゼーション」であって「治療家」じゃない。
「病院が怖い」
— 掌 tanagokoro@手の心 (@tanagokoro2) 2016年8月16日
「現代医療以外の何かで良くなりたい」
そういう心理を見抜いた上で、質問を受け切り、不安をほぐし、必要なケースでは医療の大事を説得し、医療へ押し返す。
何でも引き受けるより大変な仕事だと思ってる。
それが代替医療です。https://t.co/2KsK9TOsMr
施術を受ければ確かに痛みが和らいだり「楽になる」のに、『こういうモノでは治らない病がある。医療へかかりなさい、あなたの来る場所じゃない。』と言うような、仙人とかヨーダの様なスタンスでいたいし、「来てしまったのか。仕方がない…疲れるのう…」みたいな感じでいたい。欲は捨てたい(困難)
— 掌 tanagokoro@手の心 (@tanagokoro2) 2016年8月19日
手技療法の利点とは
手技療法や「所謂“マッサージ”」の本当の利点は、
— 掌 tanagokoro@手の心 (@tanagokoro2) 2016年8月25日
『施術をしている間中、コミュニケーションも説明もできる。患者は質問できる』ことにあるような気がしています。
しかし同じ「施術者」でもそこに気付いていない者もいて、「病院に行くより治るから、私のところに患者が来る」と錯覚しています。
標準医療を否定したり、「治せなければ意味がない!」と思うのではなく、
— 掌 tanagokoro@手の心 (@tanagokoro2) 2016年8月25日
医者が「説明が長くなるだけで治療には直接関係しない」と思う様なことを、「わかる言葉で説明する」とか「効率度外視で時間をかける」こと。
そういう事を請け負うことが「医療の補完」に成り得ないでしょうか。#代替医療
(承前)例えば「肩こりとは」「ぎっくり腰とは」とか「坐骨神経痛」とか、総称であって定義が曖昧だが結局は保存療法になるもの。この類に対応して何らかの効果を狙いつつ、お客(患者)が納得(安心)できるような説明の仕方も探している。
— 掌 tanagokoro@手の心 (@tanagokoro2) 2016年8月25日
そういう「骨が折れる」部分で病院にできないことを補う。
医師や標準医療の人にも知ってほしい事は、手技療法では「視診・問診・触診」に近い事と「施術」が、一体で同時進行だという利点です。
— 掌 tanagokoro@手の心 (@tanagokoro2) 2016年8月25日
『施術をしながら聞ける』というのは、質問を捌き説明を切り上げなければ時間が足りない「病院の医者」にはない点で、そこに需要がある人々がいます。#手技療法
誤解がないように言うと、「診断名」は付けてはいけない。
— 掌 tanagokoro@手の心 (@tanagokoro2) 2016年8月25日
それは医師にしかできないし、代替医療や整体等々には何か傷病名を確定できるような知識も設備も権限もない。
だからと言って、医学的知識や科学的考え方を持たなくて良いわけではないでしょう。色々な可能性を考えられる程度の基礎が必要。
不安や疑問がある患者の「話を終わらせないと」次の処方なり治療へ移れない事が「医療の悩み」だとすれば、
— 掌 tanagokoro@手の心 (@tanagokoro2) 2016年8月25日
『聞きながら、答えながら、確認しながら、考えながら、探しながら、同時に施術中でもある』ことが、手技療法の価値になり得ます。
医学的根拠以上の満足感の理由かもしれません。#手技療法
医療の仕組みの問題で医者が時間をかけられない部分を補うのが代替医療だと思っていますが、医者でも難儀することを請け負うのであれば、医学・科学的に「トンデモ」ではない知識が必要になる。
— 掌 tanagokoro@手の心 (@tanagokoro2) 2016年8月25日
「医者がやらない治療」をすることよりも、『よく聞いて、わかりやすく説明する』スキルこそ必要です。
代替医療は医療ではなく
整体師等の「無資格」にしても、東洋系「国家資格」にしても、両方がしていそうな危うい勘違いは、
— 掌 tanagokoro@手の心 (@tanagokoro2) 2016年8月26日
「代替医療」=【まだ科学では解明されていない、未来に可能性がある「医療」】
というもの。
そうじゃないと思う。「医療と患者」や「病と不調」の【隙間を補う】ことが役割だけれど医療ではない。
(承前)過去、医療や科学の精度が低かった時代に、
— 掌 tanagokoro@手の心 (@tanagokoro2) 2016年8月26日
「伝統医療」の施術で治ったと記憶されたので、医者と同等以上に尊敬された「先生」もいたと思いますが、現代では時代遅れになりました。
科学的検証の精度が上がって、本当に効果があるものは医療に取り入れられました。
では、残ったものは…?
(承前)残ったものは、
— 掌 tanagokoro@手の心 (@tanagokoro2) 2016年8月26日
「肉体的・精神的な緊張やストレスを弛緩させるテクニック」
「“痛み”に理解を示すコミュニケーション」
.
これを「治療であり医療」と考えるのか、
「気分転換にも近いリラクゼーション」と考えるのか、
これは意見が分かれるところで、堂々巡りで…
(承前)しかし傾向としては「私がしたいのは治療だ」と考える施術者は、
— 掌 tanagokoro@手の心 (@tanagokoro2) 2016年8月26日
『何が患者を癒やしているか』を捉えていない様に見えます。
珍しい理論で「治療」を引き受ける施術者というのは、最初はそうでなくても次第に、「癌も治せる」と言ったり、標準医療を否定するように…なる可能性があります。
接骨院、鍼灸、整体、カイロに通う人が、
— 掌 tanagokoro@手の心 (@tanagokoro2) 2016年8月26日
例えば何かの症状を「半年通って治してもらった」と言うことがありますが、
それは「治療」が治したのではなく「時間経過」が治したのかも。
基本的に、医師が手術しない様な痛みや症状は、治療ではなく時間が治します。
その間の不安の軽減は大切ですが。
「肉体的・精神的な緊張やストレスを弛緩させるテクニック」
— 掌 tanagokoro@手の心 (@tanagokoro2) 2016年8月26日
「“痛み”に理解を示すコミュニケーション」
私はこれを「治療ではなくリラクゼーション」と宣言する方が潔いと思います。
自分が何をしているのかを捉えて、リテラシーを備えて。https://t.co/XSZyRB19Y9